​同窓会報 第47号 号外

特集

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88回生からの寄稿文③ 学術的見地から

科学史からみたパンデミックの中の希望

 

野澤  聡

大学教員・科学史家(東京都)

 

 新型コロナウイルス感染症(以下、COVID-19)の世界的流行(パンデミック)が、現代社会が抱える矛盾や問題を顕在化させています。COVID-19は風邪に過ぎないとする主張や、ワクチンの効果や副作用についてのデマなどによって、感染症対策が少なからぬ影響を受けています。人類はワクチンや感染予測などこれまでにない対策手段を手にしているものの、対策の恩恵が人類全体に平等に及んでいるわけではなく、感染のリスクと同様に対策の恩恵にも様々な格差が存在しています。

 こうした状況は以前から見られたことですが、COVID-19の世界的流行はそうした格差を顕在化させ、社会的対立を地球規模で激化させているように思われます。

 私は、現在の状況が、科学技術が直面している問題を凝縮しているように感じています。科学技術は、いつでもどこでも誰に対しても成り立つ人類共通の基盤であるはずです。ところが現在の科学技術は、人々の対立の解決に役立たないどころか、上で見たように、争いの火種になっているように見えます。なぜこのようなことになったのかについて、科学技術の歴史を振り返って考えてみたいと思います。

 科学の歴史を遡ると、何らかの意味で合理的で理論的な思考の芽生えは、古代から見られます。日食や月食の予測を含む暦はその代表例です。ただし、産業革命の頃までは、科学と技術とはあまり関係がありませんでした。蒸気機関などの産業革命期の発明に科学者はほぼまったく関与していません。科学者たちはそうした技術に触発されて熱力学などの新たな分野を作ってきました。科学と技術がより緊密化して「科学技術」となったのは、第2次世界大戦に向けた動員体制の中でした。科学技術政策が形成され始めたのもこの時期でした。これは、科学技術が政策の対象になったというだけでなく、政策の手段として科学技術が用いられるようになったことを意味します。科学技術政策の登場によって、科学技術は大きく変容したと言えるかもしれません。政策の手段となったことによって、科学技術は人間や社会を管理する手段となったからです。

 COVID-19の対策では、人間や社会を管理する手段としての科学技術という性格が目立っています。中国では、政府によって強力な施策が推し進められた結果、世界に先駆けて感染を封じ込めることに成功しました。「専制と民主のどちらが優れた政治体制か、判断する絶好の機会だ」という主張すらなされているようです。一方で、科学技術が最も進んでいるはずの日本も含めた先進資本主義諸国では、感染拡大に苦しみ続けており、ワクチン接種が開始されたとはいえ、予断を許さない状況です。自由、人権、公平、公正など、先進諸国に共通の価値観は、いずれも科学技術と衝突する場合があることは否定できないのではないでしょうか。

 科学技術と民主主義が両立し難いとするならば、私たちの社会に希望を見出すのは困難なように思われるかもしれません。けれども、足元を見ると、希望の芽が顔を出していることに気付きます。一つはリスクコミュニケーションの進展です。COVID-19についてのデマや偽情報が地球規模で大量に発信されているものの、それが大きな社会的混乱にまでは至っていません。体感的には、東日本大震災の時よりもデマによる混乱が起きにくくなっているように思われます。また、自動運転やゲノム編集利用食品、出生前診断など、技術的には可能性がありながらも議論すら困難だった先端科学技術の制度化が始まっています。私にとって身近なところでは、大学にオンライン授業が導入されたことによって、学生たちのパソコンとネットのスキルが飛躍的に向上しました。それ以外にも、様々な変化が着実に始まっていることでしょう。

 科学技術と民主主義の相克という問題は大きく深刻であり、これからも様々な問題が生じるかもしれません。ただ、問題が明確に認識され、多くに人たちに共有されたことは、解決への大きな一歩であるということができます。また、いくつか例を挙げたように、リスクを踏まえながら試行錯誤が社会の様々なレベルで始まっています。行政や組織の方針が試行錯誤によって目まぐるしく変わるのを苦々しく思っている方も少なくないかもしれません。けれども、誰にとっても未知の問題に取り組もうとしたら、試行錯誤を積み重ねることによってしか先に進むことはできません。これまで悪いこととされてきた「朝令暮改」を良しとするような社会が求められているのかもしれません。

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