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​同窓会報 第47号 号外

特集

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88回生からの寄稿文② 国内のビジネス現場から

化粧品市場のいま

 

松澤 靖

株式会社資生堂勤務 (東京都)

 

 新型コロナウイルス感染症の拡大により、グローバルで経済活動が停滞し、消費者の購買意欲が低下するなど厳しい事業環境となっています。化粧品市場は国内外ともに緊急事態宣言などによる小売店の臨時休業や時短営業、外出自粛によって来店客数が減少し、厳しい環境が継続しています。店頭では感染防止のため使用見本にビニールカバーをせざるを得ないばかりか、お客さまの肌に触れる接客ができないなど、従来の活動が機能しない、これまでに経験したことのない状況です。

 

 この状況に対して、現在、私たちは変化に迅速に対応しています。おうち時間の長期化、インターネットショッピングの浸透を踏まえ、デジタル化を一層加速しています。またマスクに付きにくいBBクリームの開発や肌に優しい消毒液をこれまでにない短期間で開発したほか、ハンドケア商品を発売するなど、新しい生活様式に沿った商品をスピーディにお客さまにお届けしています。

 

 そして、このような商品開発に止まらず、今、私たち資生堂が医療現場に対してできることは何か考えました。実際に医療従事者の方の声を聴くと、「一人でも多くの命を救いたい。だからこそ一人ひとりが感染予防に気をつけて健康でいてほしい。」という願いでした。昨年は、きっと人類がもっとも手洗いをした1年だったと思います。私たちも私たちの手もよく頑張りました。これからも手洗いは必要です。でもしっかり手洗いすると手は荒れてしまいがちなので、手洗いか消毒にハンドケアを合わせた「手守り習慣」が大切だと考え、私たちは提案しています。一人ひとりが手を守り、感染予防を続けること、それが医療現場への手助けの一つにつながると思うからです。

 

 私たちはご賛同いただいた生活者や企業の方と共に心ひとつに予防に取り組んでいます。そして、その証として対象商品の利益を医療現場のサポートのために寄付していきます。私たちはここで立ち止まっているわけにはいきません。ワクチン接種が始まるなど少し明るい兆しも見えてきました。私たちは、このコロナに打ち勝ち、完全復活を目指していきます。来年、資生堂は創業150周年という大事な節目の年を迎えます。再び、本格的な成長を実現していきたいと考えます。

観光業、コロナ

 

清水 孝弘

 

 未曾有のコロナ禍で、『信州の観光はお休み中』という何とも憎めないキャンペーンが昨年春のGW直前4月21日に発表になり、それにあわせホテルも約2か月間の休業を余儀なくされました。そんな経緯もあり、最も早く最もダメージを受けた産業と言われているのが観光業です。
 その後は何かと矢面に立たされる機会の多い『GoToキャンペーン』が夏に始まり賑わいを取り戻したかに見えた秋でしたが・・・年末の第3波による緊急事態宣言でまた耐え忍ぶ寒すぎる冬となってしまいました。
 ただ、足元を見つめなおす機会と前を向けば、団体やインバウンドに偏重しすぎて招いていた観光滞在地としてのおもてなし・観光体験の質の低下を悟りましたし、改めて地域住民・地場産業との繋がりやマイクロツーリズムの重要性にこのコロナで気づかされました。


 2月中旬に始まった県民支えあい宿泊割が顕著な例で、多くの県民の方や地元の方々にお泊りいただき助けていただきました。

 そして、観光業に携わるものとして今回大きく考えさせられたのが、いろいろな業界の方々との繋がりです。直接交渉をするような売店などの仕入れ業者や食事関係の八百屋・肉屋・魚屋・酒屋さんはもちろんのこと、クリーニング屋・タクシー・バスなどの運輸関係・近所の飲食店お土産店などなど改めて地域の多くの業界の皆さんに支えられているんだと。

 その分、ホテルの業績が地域経済に与える影響はとても大きく、家族経営のような小さなお取引先が多い田舎では、コロナ禍で相当厳しい状況にさせてしまっています。コロナ禍でも経済をまわすべきだと安易に言っても、医療側の方々から見ればとてもじゃないけど容易ではない、冗談じゃないと思われるかもしれません。

 ですが、何とかWithコロナで両立できる日が一日でも早く来るよう強く心から願っています。このコロナで世間では10年先に進んでしまったと言われております。観光業も同様にワーケーションやリモート会議など全く新しい旅行形態が生まれ、今後も今以上に密の回避や感染症対策の徹底により安全安心が確保されての旅行が当たり前になると思われます。

 ただ、このコロナ禍で変わるものと変わらないもの、変えていかなければならないものと変えてはいけないものを、しっかりと見極めていく必要があると思います。言うまでもなくこの業界の基本『おもてなし』の心を大切に、再び盛り上げていきたいと思っております。

清水孝弘

諏訪の製造業の現場から

 

太田 洋一

精密機器(諏訪市)

 来年2022年は寅年、諏訪地方には6年に一度の御柱がやってきます。新型コロナウイルスの影響でどのように開催されるのか検討段階に入ってきています。国民上げての行事となる東京オリンピックと同様、1年を通じて諏訪地方住民あげての行事となりますので、その開催方法に注目が集まっています。

 さてその諏訪地方の産業の中で観光と並んで切り離せない産業が、精密部品を中心とした製造業です。古くは諏訪精工舎の時計産業から始まり、現在では自動車、電機機械、二輪、医療機器、玩具、省力機器、半導体他様々な機構部品が中小企業の製造現場にて製造加工されています。

 その部品の供給先は県内のみならず広く県外からのお客様からお取引を頂いておりますが、昨今の新型コロナウイルスの影響で新規の取引先の確保に苦戦している状況です。県外の取引先の確保は東京をはじめ大阪名古屋等首都圏で開催される大規模な展示会にて、諏訪地方の技術力をPRし、成約につなげておりますが、3密回避の関係で軒並み展示会が中止となり、又数少ない展示会で顔つなぎができたお客様への訪問も感染拡大防止のため訪問ができない状況になってきております。 そのためWEB会議等で話をしている現状ですが、諏訪の精密部品は細かく精度が厳しいものが多いため、画面を通してその技術力を伝えることが難しいです。

 そうはいっても新規顧客の確保は必須の為、今後どのように取引をつなげていけばよいのか新たな方法の模索検討が必要です。

 全国の清陵生の仲間と来年2022年御柱祭で盛大にお会いできることを楽しみにしています。

太田洋一

コロナ禍、東京での仕事と考えたこと

 

倉科 和則

製造業営業(東京都)

 

 

 東京で暮らしています。

 

 私は国内外向けに電子部品の販売サポートやマーケティングのような仕事をしています。オフィス仕事が主で、コロナの前は、時々海外へ出張するようなこともしていました。東京での感染拡大に応じて、会社では昨年3月ごろから本格的に在宅勤務が始まり、早くも1年が経過してしまいました。その間の変化や感じたことなどを述べたいと思います。

 

在宅勤務が定着

 

 自分のようなサラリーマンにとって、在宅での仕事は初めての経験でした。この形態が始まる頃は、非対面で仕事がスムースに回るのか?という心配がありましたが、感染への恐怖感(自分自身でなくとも同居する家族から不安も)や、もちろん社会要請から、出社をするという選択肢はあまりなく、無条件に在宅勤務へ切替するということになったわけです。

今のところ自身の印象は、「コミュニケーション問題なし。オンラインvirtual出張もできるし」です。ただ、同じ空気で顔を見て確認する、といことをしたいときには出社をしています。

 

コロナをきっかけに市場環境が混沌

 

 20年3月頃、ロックダウンにより工場が止まりました。サプライチェーンは大混乱でその間は調整に明け暮れました。現在、既にその状況からは抜け出していますが、再発のリスクは消えていません。誰にもわかりません。現在、市況は色々なことが複雑化し、先の読みが困難です。例えば、私が仕事で関連するマーケットはこのような状況です。

 コロナ禍からの急速な経済回復、好景気(中国)、コロナ禍ならではの需要発生(医療健康関連機器、PC・ゲーム機などの巣ごもり需要、等)、再ロックダウンによる生産停止を懸念し過剰で重複した調達活動や部品囲い込み・・。

 これらが重なり需要が非常に強いものの、供給は全く追い付いていません。コロナ以前からの投資抑制、対中経済制裁影響で、モノ不足が深刻化。さらには原材料費、人不足、物流費高騰、当面需給はタイトな状況が続きそうです。

 

コロナがもたらしたもの

 仕事環境やビジネス状況もコロナ禍で大きく変わりましたが、先が見えない中では経済活動はそれぞれの状況でそれぞれ、まあやってゆく、ということだと思います。それよりも大切なのは、仕事の仕方や生活の変化で、よくよく自分の「価値観、何が大事か?」を考えることが大切だと感じます。

 「通勤」がなくなり、自宅に居て家族と接する時間が伸びた。「残業」も在宅。家族はその姿を見ています。週に1-2回、都心のオフィスに出向きますが、家族は感染をとても心配します。仕事中心の生活を考え直す機会にしたいと思っています。

倉科和則

私に力をくれた2つの言葉

 

佐藤(浜) 美智子

株式会社BEPPINマルシェ代表(東京都)

 

 2020年2月下旬。厚生労働省よりイベント自粛の通達が出た日、イベント開催予定だった老人施設から次々と「イベント中止・無期延期」の電話が。老人施設内での衣料品の出張販売を主な事業とする会社を起業して4年、お取引先も増え、定期的な仕事のご依頼をいただくケースも多くなってきた矢先の新型コロナウィルス流行。さらに、2020年4月上旬の緊急事態宣言により、百貨店も休業が決定。都内百貨店の催事もなくなり、それまで予定されていたものがすべて白紙となり、日ごろは楽観的な私でさえ笑っちゃうくらいに絶望的な気持ちになりました。

 「この先、どうなってしまうんだろう」眠れなくて見ていた深夜のテレビ番組で新海誠監督が言っていました。「たとえ100点の出来でないにしても、出さなければ0だから出した方がいいと思って映画を製作した」。ハッとしました。

また、同じ時期にコメンテーターが厚労省に向けて放っていた言葉「できない理由を探すのではなく、とにかくやるんだ!」が大きく胸に刺さりました。

 本当にその通り!悲観ばかりしていないで、出来ることをやろう。100点でなくても50点でもそこから積み上げていけばいい。そう思った瞬間に正体不明な力が湧いてきました。それまで中途半端に進めてきた商品カタログの作成、施設に入館しなくても済むように注文票をメールしてご入居者に配ってもらう仕組みなど、考えつくことをクオリティよりスピード優先でチャレンジしました。

 その結果、カタログを送付しますとメールした瞬間に「今、本当に困っていたんです。助かります」と老人施設のスタッフの方から電話をいただいたり、施設ご入居者様から注文書と一緒にお手紙をいただいたりとそれまでとは違う関係性が生まれてきました。また介護スタッフの方からの商品のリクエストを深く聞くことにもなり、そこから商品供給スタイルも幅広く構築、既存品では叶えられないニーズが見え、自社のオリジナル商品開発にもつながりました。あの絶望から早や1年数カ月。気が付けば自分の中で仕事に求める心持ちが変わってきていました。一番の喜びは、一人一人に心から喜んでもらえる事。そして一番大切なのは、相手のことを深く思う事から生まれる信頼感なのだと。

佐藤美智子

新型コロナがもたらした変化

 

河西 文子

フリーランス:イベント司会、ラジオ番組制作、大学講師(諏訪市)

 

 フリーランスとして3種類の仕事をしている。イベント等の司会、ラジオ番組の制作、そして非常勤講師である。このコロナ禍の中、どれもが大きな変化にさらされた。

 まず、あらゆるイベントは「やるかやらないか」の二択の中で、「やらない」選択をした。リスクを考えれば当然である。延期に延期を重ね、一周してしまったものもあった。今後は、「形を変えて実施」という方向に向かっているが、そこに司会者として関わる余地はあるのだろうか?

 また、一時多くのテレビ・ラジオ番組の制作がストップした。キー局の番組制作チームでクラスターが発生した頃である。担当ディレクターから「収録はすべて電話で」という指示が出たが、音質が悪い上にタイミングを計れず、原稿棒読みのようなやり取りになってしまう。2か月ほど続けてみたが、警戒レベル引き下げを機に元に戻った。以後、警戒レベルがどんなに上がろうと電話収録の指示は来ない。より良い番組を作るには…。おそらく皆、同じ気持ちなのだろう。

 最も激動であったのが、非常勤講師の仕事だ。地元の大学で、パソコン関係とビジネス文書を教えている。前期は、座学はすべてオンライン授業、パソコンなどの実習系は延期となった。自動採点機能付きの配信問題を作成したり、HIKAKINを参考にテロップ入り動画を作成したり、初めての「オンライン授業」に備えて準備を整えた。学生のみカメラOFFというルールの中、名前の一文字が表示されたアイコンの列に向かって笑顔で90分間語りかける。反応がわからず消耗した。感染が落ち着いた夏休みは、延期になっていた実習授業が行われた。1日3コマ、5日間で試験まで行う密なスケジュールだ。それでも、学生の反応が「見える」状態は純粋に嬉しく、質問の手が挙がると、いそいそと駆け付けた。学生たちも生き生きして見えた。そして後期は「ハイブリッド授業」というスタイルになった。学生は、その日の体調などによってオンライン受講か対面受講かを選ぶ。こちらは準備やフォローに手間がかかるが、学生にとって「受講スタイルが選択できる」というメリットは大きく、しばらくこの形式が続くと思われる。

 慌ただしい一年だったが、よりよい方法を求め試行錯誤ができたことに感謝している。試行錯誤などと悠長なことを言っていられない、最前線の職場もあったことだろう。今後も可能な限り、考えつく様々な方法を試し、より良い解を見つけ続けたい。

河西文子

小さな音楽教室、コロナ禍奮闘記

 

小口(小平) 悦子

ピアノ・ソルフェージュ教室主宰(岡谷市)

 こんな田舎の音楽教室にも、コロナ禍は容赦なく変化を求めてきました。
学校が一斉休校の中、対面でのレッスンをこのまま続けてよいのか?より良い判断をしなければいけない、これが最初の課題でした。
私たち音楽講師にもそれなりに横のつながりがあります。すぐにでも約20名の仲間とオンラインでの相談会、といきたかったのですがこれがなかなか…。日頃楽譜と会話している人間が、急に様々なアプリと機器と呪文のような言葉とに囲まれ、Zoomの招待一つでぐったりです。
 しかし、そのおかげで次の結論を得ることができました。

 ①オンラインにいつでも切り替えられるよう各家庭とテストをする。
 ②持てる環境の中で、より音質の良いものを使っていく。
 ③希望者には対面レッスンを続けていく!

 

 次の大きな課題は①と②です。ここでも、オンライン相談会が大いに役立ちました。Wi-Fiの環境やアプリのインストールからお伝えしなければいけない場合でも、「もう5年前から知っています。」みたいな口ぶりで、てきぱきと進めていけました。
「あなたはiPhone? ならば、FaceTimeでやりましょう。」「え  Skypeですって?」 

 

 一応は繋がった!さあ次の課題は肝心なレッスンの内容です。
私だけかもしれませんがここ数年レッスンでは、芸人さん並みに我を捨てて横で歌い踊り、テンション高く生徒を引っ張っていきます。時にはこの子はいつもとは違う何かを発信しているなと、テレパシーの読み取り能力も発動します。そんな肌感覚に頼り切ったレッスンをずっと続けてきたのですから、画面を通じてのレッスンはもどかし過ぎます。指の形、手を取って直したい!!
 そして今、あの手この手を繰り出した結果、次のような形に落ち着いています。何も解決したわけではなく、ちょっぴり工夫が増しただけです。
 
1.遠方の受験生などは、オンラインがとても便利。おもちゃだったiPadが、ここで重要アイテムへと変身し、楽典(音楽の文法)、聴音(同ヒアリング)の添削に大活躍です。課題の往復でカバーできる点がたくさんありました。これまで全項目やり

きるには1回につき2時間、通う時間も含めるとだいぶ生徒さんとご家庭への負担が減ったのではないでしょうか?

 

2.通常レッスンもややハイブリッド型に。レッスン内でやりきれなかった曲を動画で送ってもらい、チェック。「変なクセをつける練習」を一週間してしまうのを防げます。毎日の練習をたったの2小節ずつ送ってきてくれる子もいます。

 

3.YouTubeの活用まで一気に進みました。基本のテキストの予習用動画を作って事前に送って観ていただくこともあります。動画をアップするのを目標に、限定公開のミニ発表会も行いました。

 

4.思いがけない発見も多数ありました。
・各家庭の実際に所有している楽器について、入会時に入る文字情報と映像で見るのとでは情報量が格段に違います。設置場所の違いでも上達に差が出るだろうなあと推察できます。
・電子ピアノ所有のご家庭が多いとわかっていましたが、音量を調節できるので、カタカタ音に負けて耳が育たない子もいるだろうと思います。
・モーツァルトの曲に「へィ!へィ!」妹がアキバ系の掛け声を入れていました(いい!)
・ピアノの音が半音下がっていたので、調律をお願いしました。

 

 アコースティックピアノでの表現の追求は当然していきたいですが、電子ピアノの活用法についても、もっと掘り下げていきたいなど、またまた新たな課題も見つかりました。

 

 最後に嬉しかったエピソードを。野球の活動を禁止された男の子がお母さんにつぶやいたのですって。
「こんな時のために僕たちはピアノを習っていたんだね。」
 学校がない間、お兄さんと毎日ピアノを奪い合って弾いていたそうです。

 

 時は止まらずずっと続いていきます。当初、感染症というわけのわからないものに対する恐怖と、それ以上に謎だらけだったデジタルな物達との前で立ちすくんでいましたが、パンデミックに背中を押された形で、一つずつ向き合うことになってしまいました。これからも根となるところは大事にしつつ、柔軟に時代に寄り添って少しずつ進んでいこうと思います。
 

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小口悦子
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