御神渡りは、物理的には次のように説明されています。冬季に氷点下10度前後の日が続くと諏訪湖が全面結氷します。そしてそういう日が数日続くと、厳しい夜間の冷え込みで氷が収縮して表面に裂け目ができ、裂け目に湖の水が上がってきて新しい氷となります。翌日気温が上昇すると旧氷が膨張して、その圧力が、薄くて弱い新氷の両側にかかり新氷が破壊され、旧氷の上にのし上げられます。この現象を繰り返すと一本の道筋となり御神渡りとなります。
御神渡りの発生の日時や場所を記録したものは六百年近く昔の応永四年(一三九七年)が初めてで、嘉吉三年(一四四三年)からはほとんど欠けることなく、約六世紀にわたる記録が八劔神社に保存されています。これを昔の気候変化を知る貴重な資料として世に紹介したのが、地元出身のお天気博士藤原咲平氏(第五代中央気象台長)です。
〈初結氷〉
十二月下旬ともなると朝方の気温は氷点下5度程度までに冷え込み、諏訪湖岸辺の水面に薄氷が張ります。その最初の日を「初結氷」といいます。ほとんどの場合、気温が上昇すると溶けてしまいます。
初結氷の平年(一九六一年〜一九九〇年)は十二月二十二日で、この日の最低気温の平滑平年値は氷点下4.2度となっています。初結氷の最早は昭和四十五年十二月十日で、この日の最低気温は氷点下5.3度でした。最晩は昭和六十三年一月十一日で、この日の最低気温は氷点下8.0度でした。
〈全面結氷日〉
一月に入って真冬日となった翌朝など、気温が氷点下10度以下になると、ほとんどの場合湖全面に氷が張ります。しかし、風が吹いて波が出ると氷はピシッビシッと割れて風下に流されてしまいます。朝方に全面結氷しても日中にはこのように壊れてしまうことが多いのです。そこで、終日、全面に氷が張っていた最初の日を「全面結氷日」とし、「全面結氷」とは区別して記録しています。この全面結氷日は御神渡りが出来るための出発点でもあります。
全面結氷日の平年日は一月十一日で、この日の最低気温の平滑平年値は氷点下6.7度です。全面結氷日の最早は昭和二十二年十二月二十日で、この日の朝の気温は氷点下14.2度まで下がっています。最晩は昭和六十三年二月十一日で、この日の最低気温は氷点下10.5度でした。
〈御神渡り起日〉
諏訪湖全面に氷が張り詰めて、さらに寒さが一週間前後続き、氷の厚さが約10センチメートルに成長すると、一夜にして御神渡りが出現することになります。
御神渡リが出現するための大前提は何といっても気温がある値より低くなる必要があります。その値については非常に複雑で一義的に決めることはできませんが、過去五十年間の資料をもとに、その平均的な値からある程度の目安がつきます。
その平均的な御神渡りのプロセスは、まず、最低気温が氷点下6度以下の日が四〜五日続いて全面結氷します(氷の厚さは約2センチメートル)。さらに氷点下7度以下の日が一週間前後続いて氷の厚さが10センチメートル前後に成長したところで、大響音と共に御神渡リが出現するのです。
しかし、寒気の強弱や持続の仕方が出現までの期間の長短に複雑に影響を与えることになります。
御神渡り起日の最早は、昭和二十二年の十二月二十四日(最低気温氷点下9.8度)、最晩は昭和五十年二月十一日(最低気温氷点下9.6度)でした。
御神渡りは、諏訪湖だけに出現する現象ではありませんが、諏訪湖の御神渡りが特に顕著に現われる要因として、次のものがあげられています。
・湖の大きさ…周囲十七キロメートル、面積は十二・九平方キロメートルの中位
・湖の深さ…水深は浅く(平均水深は四・七メートル)、最深七メートル前後にすぎない
・湖の形状…ほぼ円形をなしている
・標高…七五九メートルの高地にある
・気温…寒冷な空気が盆地の底部に蓄積されて、著しく低温になる
・水温…湖底までの差が小さい
・風…日中は風浪が立つが、夜には凪ぐ
・積雪…寒冷にもかかわらず、少ない
・日照時間…晴天の日が多く、日中昇温する
これらの要因のもと、平年並の寒さの冬であれば、高い確率で諏訪湖には御神渡りが出現することになります。しかし、冬(十二、一、二月)の平均気温が累年平均値より0.8度以上高くなると御神渡りはほぼ出現しません。また、1.6度以上高くなると「明海」となります。
明海は一九五〇、一九六二、一九七二、一九七八、一九八八、一九八九、一九九二、一九九三、一九九四年(統計一九四五年〜一九九五年)と近年増えています。このことからも分かるように温暖化の影響は色々な面で表に現われてきています。